こんにちは。凛奈(life_rinna0)です。
HSPのAC(アダルトチルドレン)体験談-機能不全家族-の前編、中編の続き、後編になります。
母親を愛せない
小学生の高学年になる頃、なんの会話の流れかは覚えていないが、母に「あんたは普通に働いて普通に結婚すればいい」と言われた事があった。
母親としては「普通に幸せになってほしい」という意味合いなんだろうと想像出来なくもなかったが、「何も出来ないのだから何もするな」という含みがないとは思えなかった。
人の人生を決めつけるような言い方が凄く腹ただしかった。
確かに成績がいい訳じゃないし、兄のように何か秀でた才能がある訳でもない。
けれど、これから後何十年と続くであろう娘の人生に、こうも簡単に期待がない事を示す母に私自身、期待は持てないと思った。
私は前々から母に指図されるのが嫌いだった。こうすればいい、ああすればいいと言う人間がなぜそんな惨めな生き方をしている?
もうずっと自分など見失っているじゃないか。
何も出来ないのはあんたじゃないか。
少なくともあんたみたいな大人にはなりたくない。自分の生き方は自分で決めてやる。
と、言われた当時はまだ抗う気持ちがあった。
それから数年後、中学生になった私は、いつの頃からか、生き方より死に方を考えるようになっていた。
もう全部がしんどいから早く死ねないかな。
自宅で首を吊るなんて失敗したら後が怖いし、かと言って知らない場所まで行って終わらせる勇気もない。
せめて病気か事故で自分が気付かない間に死ねればいいのに。
毎日のように苦しまずに明日を見なくて済む方法はないかとばかり考えていた。
「楽しい」が楽しくない
グダグダと生きているうちに高校生になった私は、せめて少しでも自分を変えれないかと、アルバイトと、習い事でダンスを習い始めた。
アルバイトはハードでも達成感があったし、単純に報酬が嬉しかった。
ダンスは以前から興味のあった事で、踊っている間は嫌な事を忘れられた。
「楽しい」と思えるモノが見つかって嬉しかったし、何より、家にいる時間が少ないに越した事はなかった。
やっと家の外で居場所が見つけられたと思ったが、バイトもダンスも、続けていく上で、ある程度の人間関係は築いていかないといけない。
周りの人達に特別「悪い人」はいなかったが、「嫌いな人間」が多く、そこに「いい人」がいても集団の中はいつも居心地が悪かった。
ちゃんと楽しくて笑っている時もあるはずなのに、どこか違和感が拭えず、楽しみきれない。
いくら自分に「楽しい」を流し込んでも、底に穴が空いてるようで、流し込むほど空っぽになっているような気がしていた。
心の中が一向に満たされない。
なんでこんなに生きるほど虚しいんだろう。
ACの存在を知るも
ある日、学校で友人と互いの家族について話をしていた時に、私がアダルトチルドレン(以下AC)に当てはまるのではないかと指摘された事があった。
私はACについて無知だった為、自宅で改めてACについて調べた。
アルコール依存症や虐待のある家庭で育ち、トラウマを抱えたまま大人になった人の事。
診断テストをすると、心から楽しめない事、常に周りと自分は違うと感じる事など、当てはまる項目が多く、私はACに該当していると思った。
自分の感じている違和感の原因が少し分かった気がしたが、どこかしっくりこなかった。
父は酒癖が悪かったが、四六時中という訳ではなかったし、普通に機嫌が良い時もあった。
幼い頃は痛い思いもしてきたが、私が小学生に上がってから、父と会話する機会は殆どなくなり、父が他の家族と喧嘩している事はあっても、私が父に怒鳴られたり、手を上げられる事はなくなっていた。
母や他の家族とも殆ど口を聞かなかったが、生活が出来ない訳ではなかったし、最低限の生活は保たれていた。
両親の喧嘩や、兄弟間の亀裂なんて、どこの家庭でもある事だし、世の中にはもっと辛い思いをしている人が沢山いる。
本当に自分をACと考えていいのか?
当時はAC当事者の体験談など情報も少なく、いまいち基準が分からなかった。
私がACなら周りにもACが沢山いるはず。
これを特別なモノとして見ていいものかと不安だった。
実際、友人達の話を聞いていると、中には私と近しい体験をしている子も何人かいた。
けれど、皆、どこかあっけらかんとしている様子だった。
周りに見せないように振る舞っているだけかもしれないが、何となく自分の感じている感覚と何かが違う気がする。
でも、この「何か」が分からない。
結局この違和感は拭えないのか。
そもそも私がACと分かったところで、世間の人は殆ど知らない。
友人が何故、ACを知っていたのかは分からないが、存在を知っている人間はごく僅か。
一般的ではないし、誰かに知られたところでどうにかなるような事でもない。
こちらでどうにかするしかないが、自分でやれる事としたら、自分の考え方を変えるくらい。
ACは病気ではないから薬で治るモノでもない。
カウンセリングを受けた方がいいかもしれないとも思ったが、お金も時間も掛かる上に効果の程がわからない。
何より、自分を変えなくてはいけない事がしんどかった。
そこまでしてこの世界で生きていかないといけないのか。
合わない私が無理に合わせるより、合わない人間が消えれば済む事。
神様が要らない人間を摘み上げて、どこかに捨て去ってくれればいいのに。
このネガティヴ思考もACからくるモノなのだろうか?
誰も信用出来ない
叔母は老人ホームに入ってから一年足らずで亡くなった。
そして、叔母が亡くなった事で父に叔母が残した多額の遺産が入ってきた。
私は当時、遺産がいくら入ったのかは知らなかったが、常に店の経営難を抱えていた両親がブランドのバッグを買ったり、自宅の建て替えの話を進めていた事からそれなりの額である事は認識できた。
家計に余裕が出来た事で、両親の夫婦間の関係は少し落ち着いたように見えた。
そしてこの頃の父は機嫌が良かった。
父の機嫌が良くなるのはいつもお金を手にした時。
店の売り上げが良かった時、馬券が当たった時、そして今回は遺産が入った。
どこまでも現金な父に失望を覚えずにはいられなかった。
母は母で、益々スピリチュアルにのめり込んでいき、気が付けば、自宅に占い師を招き入れるようになっていた。
その手のモノに一体いくら注ぎ込んでいるのかと気になりもしたが、それ以上に関わりたくなかった。
家の建て替えなんてどうでもいい。
こんな誰も信用出来ない家庭で過ごしていたら気が保たない。
ただ一人になりたい。
お金を貯めて早くこの家を出よう。
新居が完成してから一年足らず、私は家を出てた。
おわりに
以上、前編、中編、後編に渡って、私の幼少期から高校までの家庭環境についてお話しさせて頂きました。
私がHSPを知ったのはこれから5年程先、20代前半の頃。
社会生活の中でどうしても拭えない周囲との違和感について、日々ネットで検索していた時にHSPを見つけました。
それまでACだけでは納得出来ていなかった「何か」の部分が、HSPを知った事で殆どふに落ちました。
これじゃ、しんどい訳だなって。
でも、AC同様、HSPについても、当時は全くと言っていいほど、世間には認知されていませんでした。
自分が知ったところで、 世間がその存在を認めていなければ、周りからは「ただの甘え」にしか見られない。
結局、誰にも理解されないなら伝える必要もないと諦めていました。
そして「早く自分が終われ」の無限ループ。
ここから抜け出したのは更に10年後。
本当にここ最近の話です。
ここ数年でHSPが一気に認知された事で、ACの知名度もグッと上がりました。
やっと世間が気付いてくれた、やっぱり自分みたいな人って沢山いるんだなと思えて。
「痛い」って言っていいんだ。
そう思えてから少しずつ自分を認められるようになりました。
ACもHSPも、まだまだ認知度が高いとは言えませんが、今は世間的に「生き辛さ」というモノが認められてきていて、理解してくれる人、共感してくれる人が増えています。
決して「甘え」ではないので、もし、少しでも自分がACやHSPに該当している思う人がいるなら、家族とは向き合えなくても、自分とは目を逸らさずに向き合って欲しいと思っています。
長文に最後までお目通し頂きましてありがとうございました。
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