こんにちは。凛奈(life_rinna0)です。
前回の記事、HSPのAC(アダルトチルドレン)体験談〜前編〜の続きになります。
前回は主に私の両親についてお話しさせて頂きましたが、今回は兄、祖母、叔母との関係について綴っています。
一つの出来事を根深く恨む
私より2歳年上の兄は、どちらかというと、内向型タイプだ。
友人達を家に招いて遊んでいる時もあるが、それ以外は一人で黙々と机に向かってプラモデルやミニ四駆の細かい塗装などの作業をしていた。
兄は昔から手先が器用で、学校でも工作などの成績が良かった為、両親からもよく褒められていた。
それとは対照的に細かい作業が苦手だった私が両親からよく言われていた言葉は、
「お兄ちゃんはあんなに器用なのに。あんたは本当、不器用ね」
私は常に、兄弟で比較される事自体は仕方ない事だと自分にいい聞かせていた。
ただ、そんな状況下もあってか、兄は普段から私を見下しているような態度で、私をからかう言動も多かった。
ある日、兄が私が描いた絵を見てバカにした時があった。
私は兄と比較されるのが嫌で、家ではあまり絵を描かないようにしていた。
でも、その日のその絵だけはどうしても描きたくなって描いた絵だった。
見つからないようにすぐにゴミ箱に捨てたモノを兄はわざわざ拾ってきて私の前で広げて
「これ、お前描いたの?ヘタクソ」
と笑いながら言ってきた。
私は耐えきれず大泣きした。
兄はただ面倒くさそうに私を眺めるだけで、特に謝罪の言葉もなかった。
元々兄の事は好きではなかったが、その日から兄の事が凄く嫌いになった。
兄も兄で日頃から私が気に食わないからそういった事を繰り返してきた訳で、お互い嫌いならもう関わらないようにする他ない。
それ以降目を合わせる事もなくなった。
家族全員が不仲
祖母は外向型タイプで人当たりもよく、近所付き合いも多かった。
幼少期、いつも仕事で深夜まで帰って来ない父と母に代わって私達兄弟の面倒を見てくれていたのは祖父母達だった。
私と兄は夜になると一階の祖父母の部屋へ行き、一緒にテレビを見ていたりして過ごしていた。
しかし、成長するに連れて、高齢の祖父母達との会話が合わなくなっていった。
なんとなく気まずさを感じてきていた時に祖父が亡くなった事もあり、兄も私もそのまま祖母のところに寄り付かなくなっていった。
ある日の晩、流し台の三角コーナーに母が剥いたリンゴの皮が残っていた。
それを見た祖母がその皮を持ち上げて、「こんなに厚く切っちゃって。もったいないねぇ」とため息混じりに私に呟いてきた。
私はなんと返せばいいのか分からなかった。
祖母は母に直接言わずに私に愚痴をこぼすことがよくあった。
祖母と母は表向きは仲が悪いようには見えないが、意見が食い違う事も多く、私が学校から帰って来ると2人の間に険悪な空気が漂っている事も多かった。
祖母は家族の中でも優しい方だったが、一方で気の強い一面もある。
父や母と喧嘩している姿を見ていると、私はなんとも居た堪れない気持ちになっていた。
家族同士が皆、お互いを毛嫌いしているような状態。
家族同士の会話は殆どなく、あるとしたら、なにかしら揉めている時。
各々が連れてきた友人や知人がいる時以外で家の中で笑い声が聞こえてくる事はなかった。
生活環境の悪化
私が中2に上がった頃、離れて暮らしていた叔母をうちで面倒見る事になった。
叔母は認知症を患っており、症状はかなり進行していた。
既に私達家族に対しての認識は曖昧で、いくら私の名前を伝えても、叔母は全く違う名前で私を呼んできた。
常に家の中をうろうろと歩き回り、誰か見つけると会話にならない会話を始める。
構わないと文句を言ってきかないから、皆、出来る限り話に応じるが、理屈の通らない長話に苛立ちが募り、結果的に口論になるのが殆どだった。
私は叔母の存在が怖かった。
私が学校から帰って来ると、叔母は大概、玄関付近でうろうろしている。
そのまま外へ出ようとするからダメだと注意をすると、訳の分からない話を話出す。
私がその場を去ろうとすれば、腕を掴んできて離さず、その力は高齢者とは思えないほど力強かった。その力で時には私の首を締めてこようとしてきた時もあった。
どうにか振り切って逃げると、心臓がバクバクして暫く止まらなかった。
その他に玄関での放尿、夜中の街の徘徊で警察の手を焼かせた事は一度や二度の話ではない。
父が怒鳴り声をあげる頻度が増えたのはごく自然な事で仕方のない事でもあった。
叔母の介護を巡って家族間でのトラブルも増えた。
ただでさえよどんだ空気が漂っていた自宅は、溶けた鉛のように、より重く黒々とした空間になっていた。
家にいる事が苦しい
叔母が我が家に来てから2年が経つ頃、叔母は突然怒り出したり、時には暴れたりして、いよいよ家族の手に負えられなくなっていた。
そして私が高2に上がって間もなく、叔母は近くの老人ホームに預けられた。
叔母の介護の負担がなくなった事で少し肩の荷が取れたような気もしたが、それにより家庭が穏やかになるなんて事はなかった。
父と母の喧嘩は激しさを増しており、父の母に対する当たりは益々強くなっていた。
怒りが鎮まらない父をどうにか静止させようと私と兄で止めに入っても、父は私達を突き飛ばしてきかなかない時もあった。
こんな事がいつまで続くのだろう。
家にいるだけで息苦しい。
学校も嫌いだけど家にいるのはもっと嫌だ。
家族の誰とも一緒にいたくない。
誰の声も何の音も聞きたくないし、何も見たくない。
静かな空間でただ一人きりになりたい。
こんな空間にいなきゃいけない意味が分からない。
早く終われ。
全て終われ。
私が終われ。
後編の記事に続きます。
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