こんにちは。凛奈(life_rinna0)です。
前回の記事では、私がうつ病と診断されてから病院に通院しなかった理由についてお伝えしました。
精神科についての懸念感、周囲にバレれるかもしれない不安感、「死にたい」を実行に移す為など。
ただ、私はうつ病と診断されるずっと前から早く自分が終わればいいと思っていました。
今回はその経緯と理由について伝えしたいと思います。
(長くなってしまったので、前編、中編、後編の3記事に分けてお伝えします。)
生活に嫌いが溢れていた。
自分が気持ち悪い
私は、幼少期の頃から誰かと過ごしている時の自分の感覚に違和感を感じていた。
友達と遊んでいて「楽しい」はずなのに、「楽しい」が楽しめない。
決して会話が出来ていない訳ではないのだけれど、自分と周りとは何かが違うような気がしていて、友達の輪の中にいても、自分は常に外側にいるような気がしていた。
それに加え、私は常に不思議に思っていた事があった。
下校時にある子の散々悪口を言い合いながら帰って、翌朝、何事もなかったかようにその子に接し、また下校時にその子悪口を言う。
この繰り返しになんの意味があるのだろう。
「これは二人だけの秘密ね」と言ってきた本人が周りの人間に言いふらすその心理は。
誰かに裏切られないように裏切り合っている女の子達がまるで理解出来なかった。
いつもモヤモヤしながら、かと言って自分がそれを否定する事は出来ない。
周りに悟られまいと、周囲に合わせて笑っている自分の中の居心地が非常に悪かった。
中学生になってからは、それをより生々しく感じるようになった。
私は人の好き嫌いが激しく、一度嫌いになった相手はとことん嫌いになり、心底消えて欲しいと思っていた。
だからそれをひた隠しにしなくちゃいけない学校という場所は、ともかく息苦しくて吐き気のする場所でしかなかった。
嫌いな人間、嫌な場所より、最も嫌いだったのは、自分自身。
真面目なクセに成績は中途半端。
なんでも初めてやる事には身につけるまで時間が掛かるし、プレッシャーに弱く、大事な場面では失敗してしまう事が多かった。
自分の無能さを詰るだけでは足りない。
自分の体毛や汗っかきの体質、天パの髪に醜い容姿。特に顔については、歯並びが良くなくて、父親譲りの笑うと垂れ下がる目尻が酷く気持ち悪くて仕方なかった。
中3になって受験のストレスからか、一気に体重が増えた時期があり、丸く肉付いた顔で笑った顔は本当に醜くて仕方なくてそれだけで死にたくなっていた。
外見も中身も自分はともかく気持ち悪い人間。
こんな気持ち悪い人間を産み落とした両親を憎まずにはいられなかった私は、自宅にいる時間も苦痛でしょうがなかった。
私は家族と殆ど口をきかなかったが、他の家族同士も仲が悪かった。
日々、家の中全体に険悪な空気が漂い、自宅でさえ生きている心地がしなかった。
落ち着ける場所なんてないし、自分も含めて好きな人間などいない。
何をしていても楽しくないし、みんな嫌いだし、 自分の顔も体も心も全部憎い。
よくある話であり、消えてしまいたいと思う思うには相当な理由だと思っていた。
死にたいけど死ねないから
都合の良い死に方
本記事のタイトル「30歳までに死んでしまいたかった」は正解に言うと、 「30歳くらいまで生き抜いたら死ぬ事を許して欲しい」という意味合いも含まれている。
死にたいと思い始めたのが中2くらいからで、高3くらいから、どんなに頑張れても自分が生きれる限度は30歳までが限界だろうと漠然と考えていた。
本当は今すぐにでも消えてしまいたい。
けれど、子供の早すぎる死は、両親が受け入れられないかもしれないし、世間からも批判されてしまうかもしれない。
両親の事は嫌いだったが、両親が周りの人達から傷つけられる罪はない。
私がただ死にたいだけだ。
だからせめて、30歳まで生き抜いたら、10代、20代で死ぬよりかはまだマシなのではないかと思っていた。
とは言え、30歳までは果てしなく遠く感じていたので、出来れば20代半ば過ぎあたりがいいと思っていた。
死因は出来れば病死。
もしくは不慮の事故。
本人ではどうしようも出来ない理由が欲しかった。
「運が悪かった」「仕方ない」と、世間も両親も受け入れざるを得ない理由でないとダメだと思っていた。
自分の人生を生きていく上での明るい未来の空想より、 自分の人生を終わらせる為の理想の死に方を常に頭の中で描いていた。
不謹慎でなんとも身勝手な考え方だが、そんな事しか考えられなかった。
君は幸せになれない
追い討ちの言葉だった
高校生になっても学校と言う場所は居心地が悪かったが、バイトを始めたり、習い事をするようなって学校の外だったら楽しいと思える事が見つけられたりもした。
この「楽しい」があれば生きていけるかもしれない。
そう思っても、その中で人との関わりを継続しようとすると、自分の中の「楽しい」がすぐに「偽り」に浸食されてしまい、いつの間にか「楽しい」が姿を消してしまう。
最初の項でも伝えているが、私は所謂ゼロ百思考だ。
嫌いな人間は嫌い。
例え好きな人間と過ごしていても、その空間に嫌いな人間が一人でもいたのなら、それはただただ、苦痛な時間でしかない。
だったらそんな時間は最初からいらない。
なぜ他の人は平気なのだろう?
どうして周りの人間と私はこんなにも感覚が違うのだろう。
こんな気持ち悪い感覚が後何年続いてゆくのだろう。
とてもじゃないけど、30歳までなんて生きられそうにない。
そんな事を考えていた矢先、バイト先の飲食店で、たまたま接客した団体客の中に趣味で占いをしているという男がいた。
聞けば、よくある名前や生年月日から算出する占いではなく、目やホクロの位置などで判断する人相占いだという。
業務の合間ではあったが然程時間が掛かる事でもなかったので占ってもらった。
開口一番に言われた言葉が 「君は幸せになれない」だった。
下手な占い師でももう少しオブラートに伝えるものではないかと思ったが、商売でやっていないからこそ、ありのままを伝えたのだろうとも思った。
素人の占いだし、間違っている可能性もある。
そもそも占いなんて信じたくない。
けれど、今にでも自分を終わらせたいと考えていた私には、この言葉はただただ、ダメージが大き過ぎた。
幸せになれない人生なら、何の為に生きる必要があるのか。
これまでも幸せじゃなかったのに、更に不幸になる為に生きろと?
嘘でもいいから幸せになれると言って欲しかった。
※中編に続きます。
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