30歳までに死んでしまいたかった話〜中編〜

こんにちは。凛奈(life_rinna0)です。

前回の記事「30歳までに死んでしまいたかった話〜前編〜」の中編の記事になります。

-間違いの人間-

高校卒業後は専門学校を経て、飲食店で働き始めた。

一人暮らしを始め、新しい環境になれば何かが変わるかもしれない。

30歳までに死にたいのは変わらないが、ただでさえ苦しい状況がこれ以上悪化するのは嫌だと思っていた。

けれど、私が不幸になるまいと抗えば抗うほど、嫌な事が重なっていった。

社会生活の中では自分と周囲との違和感は益々強くなっていった。

一つの組織の中で周囲に馴染もうとすればする程、私の社会不適合性が浮き彫りになっていく。

そもそも組織の中というのは、 上手くいっていれば問題は問題ではない。

例えそれが道理に反している事でも、正常を保てているなら、 それを間違ってると言う人間が間違いになる。

決して自分の考えが正しいとは言わないが、周りの考えが正しいとも思えない。

仕事もプライベートでも中身がぐちゃぐちゃのまま表面だけを磨き上げるだけの関係に嫌気がさしていた。

かと言って孤高として立ち上がる勇気もない。

それよりも、 この世の中から間違いの私を消すべきだ。

20歳を迎えた時、私はやっとここまで来たと思った。

それと同時に 10年も生きて行けないと思った。

両親に晴れ着姿を見せられたならもう十分じゃないか。

生きていても楽しくないし、何をしても上手くいかない。

生きれば生きるほど不幸になっていく人生をこれ以上生きたくない。

そんな事を考えている最中に優しい手を差し出してくる男がいると、とても救われたような気がした。

けれど、すぐに厄介な蜘蛛の巣に引っかかってしまったのだと後悔する。

気がついた時には体にまとわりつく糸で身動きが取れない。

蜘蛛の巣から抜け出したところで、そこから真っ逆さまに落ちてしまう事が怖い。

いっそこの糸で絞め殺された方が楽かもしれない。

そんな事しか考えられなかった私は、 どんな相手と付き合っても相手との将来に30歳より先の未来を考える事はなかった。

この関係がずっと続いて欲しいと思う事はなく、この人といれば30歳手前くらいまで自分を保てるかもしれない、としか考えていなかった。

私はいつも、「そのうち子供が出来たら」と、私が結婚して子供を授かる事が当たり前かのように話す母との会話が苦痛で仕方なかった。

でも、もし子供が出来たら、私が消える日が来ても、残った人達にその子がいればいいのではないか、というなんとも無責任な空想を描いていた時もあった。

どう考えても、自分が子育てをしながら明るい家庭を築く未来なんて描けなかったし、 明るい家庭を築く事が幸せの前提になっている世の中は私にとって窮屈でしかなかった。

-HSPと知って絶望した-

20代前半、どうしても自分の違和感が気になってネットで調べていた時にHSPを見つけた。

繊細で敏感、その他、これまで長年感じ続けてきた違和感の諸々の辻褄があった。

自分を苦しめていたのはこれだったのかと 腑に落ちたと同時に絶望した。

HSPは病気ではなく、生まれ持った個性。

治せるモノではない。

個性だから受け入れましょう?

ふざけるな。

病気でもないのになんでこんなに苦しまなきゃならない?

病気と言ってくれた方が楽だったのに。

治せないならこの違和感は死ぬまで続く。

病気でもないのにこの先もずっと苦しいまま。

 

ほら、やっぱり早く死んだ方がいいんだ。

 

自分がHSPに該当し、それは治せるものではないと知った事で、幸せになれない事が証明されたような気がした。

-私の電池はいらない-

私は常に死にたい願望を持っていたものの、リストカットには手を出さなかった。

唯でさえ痛くて苦しいのに、更に自分で傷をつけるなんて私には理解出来なかった。

リストカットは精神安定の要素も強い。

それより一瞬一発で確実に死ねる方法はないか、未遂だけは嫌だとばかり考えていた。

そんな最中、今から約9年前、東日本大震災が起こった。

私の住んでいた地域はそれほど大きな被害ではなかったが、テレビでは連日、津波や土砂崩れで崩壊した街並み、負傷者や行方不明者、死亡者の人数などが報じられていた。

私はテレビを見ながら考えていた。

今回の災害の死亡者の中で、本気で死にたくないと足掻いた末、力尽きて濁流や土砂崩れに飲み込まれてしまった人達に紛れ、自らの意志で濁流に飲み込まれていった人、あるいは、敢えて立ち止まって土砂崩れの下敷きになった人はどれほどいるのだろうかと。

私があの場所にいたら迷わずそれを選択したのではないか。

自分があの場所にいれば良かったのに。

今からでも、自分の残りの命の電池を誰かに分け与える事は出来ないだろうか。

自分が生き残ってしまった事に対しての罪悪感、生きていながら今も尚、死にたいと思ってしまっている背徳感。

今以上に自分が不幸だと感じたくはないが、自分を終わらせる理由になる不幸は欲しかった。

こんな命を粗末にするような人間、頭の中が不謹慎で溢れかえっているどクズ人間、生きていてもなんの意味もないのに。

神様は本気で生きたい人を呆気なく殺して、本気で死にたい人間を甚振り続ける。

それが楽しいのか?そもそも神だから楽しいもつまらないもないんだろうけど。

生きたい人間だけ生かせばいいのにとも思うが、生きたい人間だけ生きていたら人は生きている事すら実感出来ないのだろうか。

それは生きているとは言えないのだろうか。

だから不幸で死にたい人間が必要なのか?

私はやはり不幸になる為に生きているのだろうか?

同棲を始めて数ヶ月の彼氏の隣でそんな事を永延と考えていた。

これまで、職場の人や付き合ってきた恋人によく言われた言葉は「何を考えいるか分からない」

一番直近に付き合った人には「テレビ見て笑ったりするの?」と本気で聞かれた事があった。

当人が楽しいか分からないまま笑っていたりしているのだからどうしようもない。

-相次ぐ体の不調-

震災以降、体の不調が相次いだ。

眩暈や動悸、神経痛、常に微熱が続くなどの症状が続いた。

更に、元々重かった月経痛が悪化し、月経困難症が原因で何度か救急搬送されたりもした。

身体中にアザが出来て、顔面が紫斑と言われる内出血だらけになる症状が続き、難病指定されている再生不良貧血の疑いが懸念された時もあった。

不謹慎な事ばかり考えてきたツケがここできたか。

でも、もしかしたらこれで死ねるかもしれない。

病気で死ねるなら本望だ。

しかし、私の期待とは裏腹に最終検査に入る前に症状が落ち着いてしまった。

その後も原因不明の体調不良が続いても、結局大事までには至らない。

大事には至らないが良くもならない。

やはり、死にたい人間をただでは殺してくれないようだ。

仕事はなんとか出来たが、集中力も気力も低下していて、自分が何をしているのか分からないような状態だった。

そんな中、今から約5年前、耳管開放症と言う耳の病気と同時にうつ病と診断された。

私は診断を受けてから程なくして仕事を辞めた。

その頃、同棲していた恋人とは何年も前から恋人と言える関係ではなかった。

何年も前から別れを切り出さなければと思いながらも、心身の不調から毎日を生き抜く事で精一杯だった私は何も言えなかった。

私は別れたい恋人のその家で約一年間、ひきこもりになった。

 

後編に続きます。

種類3 性病検査




ABOUTこの記事をかいた人

30代内向型HSP。 耳管開放症、月経困難症、うつ病、などの病気の体験談をブログに綴っています。YouTubeも始めました。私の経験を通して、今、生きづらさを感じている方に少しでも役立つ情報をお伝えしていければと思っています。