こんにちは。凛奈(life_rinna0)です。
「30歳までに死んでしまいたかった話」
-彼に知られたくない-
私は、ひきこもりになる少し前に、彼に耳管開放症になった事、仕事を辞める事は伝えていた。
「そうなんだ」
彼はそれ以外何も言わなかった。
きっと何も言えなかった。
彼とは別れ話をしていないだけで、何年も前からろくに口もきかない状態が続いていた。
それでも、これ以上関係が崩れるよりはと、何も言わず現状維持を選ぶ彼こそ、厄介な蜘蛛の巣から抜け出せていなかった。
私がずっと別れを切り出せなかったのは、彼に対しての情ではない。
貸した金が中々返ってこなかったり、束縛やらモラハラやら恨み半分、
全てに対して気力を失っていたから。
早く自分が終わってほしい。
働いている間もそれしか考えられなかった。
生きるのに精一杯で先の事なんて考えられなかった、なんて理由にならない理由で私はその場に留まり続けた。
恨み辛みだの言いながら、結局は自分のご都合主義だ。
こんな全細胞が腐った蜘蛛なんて一刻も早く潰してしまうべきだ。
そして残骸はここに残すべきではない。
彼に絡みついた糸も私の巣も跡形もなく、この部屋から排除するべきだ。
これ以上、彼の中にいたくないし、彼の中の私を全て消してほしい。
荷物も全部処分し、関係も断ち切った上で、消えたい。
だけど頭も体もまるで動かない。
ひきこもり生活が始まってひと月足らず、病院に通院しなかった私は、病状が悪化していき、ベッドから起き上がる事も困難な状態になった。
-30歳になる事が怖かった-
気が付けは29歳まで生きていた。
20代半ばも過ぎたし、目標まで生きれたはずなのに、なんの達成感も感じないのは、 生き方があまりにクズ過ぎたからだ。
毎日生きながら死んでるようにしか感じなかった。
やはり私の命のリミットは30歳までで十分だ。
きっと今が「その時」なんだ。
しかし、うつ病も耳管開放症も死ねる病気ではない。
耳管開放症はあくまで耳の症状、うつ病は心と体に症状が現れても、癌のようにがん細胞が体を蝕んでいく訳ではない。
症状が悪化する事はあっても、 あくまで「生きていける病気」だ。
うつ症状が悪化した事で確かに希死念慮は強くなった気がしたが、それ以上に無気力が強すぎて何も出来ない。
やはり私のようなクズは生き地獄を味わえという事なのだろうか。
希死念慮が大きくなるほど、 病気か誰かに殺してほしいという気持ちが強くなる一方で、自分で自分を殺す気力が出せない。
うつの重度症状になっても死ねないというのは何かのネット記事で読んで知ってはいたが、こういう事かと改めて実感した。
さっさと包丁で一突きでもすればいいのに、この部屋では死にたくないだの、誰にも知られずに死にたいだの、言い訳を並べる自分が本当に嫌だ。
そんなわがままを言ってる暇はないのに。
早くしないと数ヶ月後には30歳になってしまう。
30歳になって死ぬのではなく、30歳までに死にたい。
30歳過ぎても生きてたらどうしよう。
こんなのがこれ以上続くなんて嫌だ、怖い。
どうかその日が来ないでほしい。
そんな事いくら願っても、自分でやらなきゃ叶うはずなのに、私は朝が来ない事を願う事しか出来なかった。
-言葉の持つ力-
ひきこもりの間、「君は幸せになれない」という言葉の意味を何度も考えた。
望み通りの人生は歩めないと言う事。
今の私の望みは30歳までに死ぬ事。
幸せになれないと言う事は、死ねないという事なのか?
もし生きたいと思ったならその時は死ぬのだろうか?
名前も知らない、顔もうろ覚えの男に言われた言葉に、これまでどれだけ振り回されてきただろう。
この言葉を言われてから、何か嫌な事がある度に、やはり私は幸せになれないのかと考えるようになった。
自分が不運だと感じ、私が少しでも顔をうつむかせれば、足元の影に潜んだこの言葉が、薄ら笑いした顔で浮き上がってきた。
それからゆっくりと私の足に絡みついてきて、次第に体全体を締めつけてくる。
解ける時は一瞬の夢を見ている時か、無心になっている時だけだ。
きっと、この先も、私の命が続く限り、この言葉は私に絡みついて離れる事はない。
私は、 この言葉を告げられた事自体が、人生最大の不幸だと思った。
言葉一つで人生が変わる。
誰かの一言で人生が救われる人間もいれば、誰かの言葉一つで人生が崩壊する人間もいる。
人が言葉を支配しているのか、言葉が人を支配しているのか。
もし、あの時、「君は幸せになれる」と言われたら、私はその言葉に望みをかけて懸命に生きていたのだろうか。
どちらにせよ、言葉に縛られる事に変わりない。
-命のリミット-
多分、今、一見何事もなく普通に生きているように見える人の中には、私のように 自分の命のリミットを自分で設定している人が決して少なくない人数で存在していると思う。
何歳まで生きたら、次の誕生日まで、次に失敗してしまった時は、今の仕事を辞めたら、この薬が効かなかったら、今日が終わったら。
これはある意味目標に向かって生きている。
決していい目標ではないけど、こうでもしないと今すら生きれていない。
今思えば、これが少しでも長く自分保つ唯一の方法で、私はその設定がかなり長かった方なんだと思う。
30歳を迎えた時、なんの感情も湧かなかった。
よくここまで生きたとか、もう十分生きたから終わりにしようとも何も考えられなかった。
呆気なく30歳になって、ベッドの中でただ、呼吸してるだけ。
それ以外何もなかった。
しばらくしてから30歳になってしまった事を悔やんだりしたが、その時は泣くとか、何かを考えるとか「感情」というモノが自分のどこにいるか分からなかった。
ある意味、30歳で死んでいたのかもしれない。
-おわりに-
約一年のひきこもりの間、結局、私は「死にたい」を実行に移せませんでした。
30歳のリミットで死ねなかった私は、結果的に「生きる事を諦める」のではなく、「死ぬ事を諦める」選択をしました。
その後の社会復帰で耳管開放症やうつ病が再発して散々な結果に終わったものの、現在34歳、まだ生き残っています。
今は自分の命の電池が続く限り、自分を生き抜こうと思っています。
なぜ、生き残る選択をし、自分を生き抜こうとしているかについては、今後の記事で少しずつ綴っていきたいと思います。
最後までお目通し頂きましてありがとうございました。
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