私のうつ記録

こんにちは。凛奈(life_rinna0)です。

これは私がうつ病と診断されてから、仕事を辞めて約一年間のひきこもり生活についての記録です。

今回はうつの症状が最も重かった時期についてお伝えさせて頂きます。

(※私はうつ病と診断されてから病院への通院しなかった為、あくまで私の体感での話になります。)

病院に通院しなかった理由に関しては、後日、改めて記事を書かせて頂きます。

別れたい恋人の家でのひきこもり生活

当時、私は、交際相手と同棲生活を送っていましたが、数年前から恋人と言える関係ではなく、会話をする事は殆どありませんでした。

早く別れを切り出さなければならない、そう思っていたものの、日々の精神的なストレスから、身体の不調が続いていた事もあり、中々言い出す事が出来ないでいた時の出来事でした。

彼には仕事を辞めた事については伝えたものの、うつ病については伝えませんでした。

彼が家にいる時間が少なかった事もあり、申し訳ないと思いつつも、私はそのままひきこもりの生活になっていきました。

せめて最低限の家事はこなさなければと思っていたものの、症状が重度の時はほぼベットの中から出られない状態でした。

家事が出来なくなる

掃除

元々、家事自体は嫌いじゃない。

家事の中でも掃除は好きな方だった。

潔癖症という程ではないけど、汚れているモノ、散らかったモノが目につけば、すぐに清掃し、整える。

モノが散らかっている空間は落ち着かない。

彼はよく、鼻を擤んだティッシュなどを投げてゴミ箱に入れようとしていた。

大概は外して床にゴミがいくつも転がったままになっている。

それをゴミ箱に入れるのが私の役目だった。

いくら言っても改善がなかった為、もはや日課になっていた。

でも、それが面倒でならない。

床に落ちているゴミをゴミ箱に入れる。

たったこれだけの事がしんどい。

そもそも布団から出れない。

ベッドから転がっているゴミが見える。

転がったままは嫌だけど、布団から起き上がって捨てにいく方がもっと嫌。

体が常に重く、何もしたくない。

掃除機なんて使いたくない。持てない。

掃除の事を考えるだけで憂鬱になっていた。

洗濯

洗濯は更に憂鬱。

私は着替えるのも面倒であまり洗濯物は出なかったけど、二人分だとすぐ溜まる。

出来る限り午前中に洗濯は済ませてしまいたい。

でも、午前中に動き出す事がどうしても出来ない。

部屋から洗濯機までの数歩ですら遠い。

午後になってようやく動き出せる。

洗濯機に向かう。

洗剤を入れてスイッチを押す。

すぐにベッドに戻り布団に潜り込む。

洗濯完了の合図が鳴ったら干さなくちゃ。

洗濯機の振動音はうるさいけど、この音が終わったら干さなくちゃ。

そう思うと終わらないで欲しい。

洗濯物を干さなくちゃいけない重圧ってこんなに重かったっけ。。

でも、もう午後だし放置する訳にもいかない。

洗濯が完了し、渋々洗濯機向かう。

固まった洗濯物を解しながら洗濯カゴに入れる。

ベランダまでの数歩。

衣類をハンガーに通して物干し竿にかける。

洗濯物ピンチに靴下や下着などのチマチマしたモノを一つずつ挟んでいく。

これだけでイライラする。

物干し竿にバスタオルを広げて掛ける為に両腕を上に上げるだけで体力が消耗する。

なんとか洗濯物を干したら洗濯カゴを洗濯置き場に戻し、部屋に戻ってベッドに倒れ込む。

たったこれだけで重労働をしたかのように重い身体が更に重くなった。

もう何もしたくない。

 

買い出し、調理は難関

外に出る事が本当に嫌でしょうがない。

でも行かないと。

着替えて外に出る事が本当に憂鬱でしんどい。

適当な上着を羽織って部屋着のまま買い物に向かう。

自宅から徒歩1分の所に小さなスーパーがあった事が救いだった。

なんとか買い出しし終えて冷蔵庫に食材を入れたらもう動きたくない。

調理なんてする気になれない。

でも彼が帰ってくる。

最低限は作らなきゃ。

炊飯器にお米をセットする。

汁物とサラダ、なるべく手間が掛からない一品料理。

途中で嫌になってその場に座り込む。

うずくまったまま数時間が経つ。

もう時間がない、早く作らなきゃ。

なんとか調理し終え、使用した調理器具を洗う。

もう無理。

 

食事が面倒くさい

それまでの私は、基本、毎日3食食べていた。

特に働いている間は、朝食を抜いてしまうと気持ち悪くなったり、イライラして集中力が保てなかったりするので、朝食は欠かさず食べていた。

でも、午前中はほぼ起き上がれない。

お腹は空いているが、動きたくはない。

昼過ぎにようやく動きだし、冷凍ご飯を解凍する。

ふりかけをかけて食べる。

噛んでも味がしない。美味しくない。

ふりかけ意味ないな。

ていうか、食べても意味ないな。

もはや体から出す為に体に入れる意味が分からない。

次第に食欲自体もなくなっていった。

 

過眠と不眠の繰り返し

寝ても寝ても眠い。

働いている間は1日5〜6時間程度の睡眠が、9、10時間寝ても眠気が取れない。

更に日中も惰眠してしまう為、夜は中々寝付けず、どんどん睡眠リズムが崩れていった。

次第に金縛や悪夢を見る回数が増え寝る事が怖くなって逆に眠れなくなった時もあった。

しかし、起きていると彼が家に帰ってきた時に気まずいから、いつも早めに布団に入って寝たフリをしていた。

 

お風呂、トイレが面倒くさい

布団から出て立ち上がる事が本当に面倒くさい。

鉛の体ではシャワーだけでも面倒くさい。

なんとか済ませて化粧水を適当につける。

ドライヤーも歯磨きも最小限。

水分を取るとトイレが近くなるから水分すら取りたくなくなっていた。

全てが面倒くさい

起きている事さえ、呼吸して生きている事自体がしんどいと感じる。

全てが無意味にしか感じられず、何を考える事自体が無意味。

一度寝たら永遠に目が覚めなければいいとばかり思っていた。

好きなものが好きでなくなる

私はアニメや漫画、音楽を一人で楽しむのが好きだった。特に音楽は唯一の心の拠り所だった。

でも、ウォークマンでいくら音楽を耳に流し込んでもなんの感情も湧かない。

大好きだったはずの曲がただの雑音でしかない。

雑音にしか感じられない音楽はただただ不愉快でしかなかった。

音楽すら頼れないと感じた時、もう私を救えるモノは何もないと思った。

死ぬ事も面倒くさい

さすがにこの部屋で命を絶つのは申し訳ない。

せめて樹海とか海とか出来るだけ遠くに行かなくちゃ。

遺体に虫が集るのは嫌だから海がいいけど、どこも遠いな。

痛いのは嫌だから精神科に行って睡眠薬を沢山確保しないと。

それには何件か診察を受けに行かないと行けない。

でも動けないや。

ともかく身体を動かす事が出来ない。

常に死を意識していたものの、移動したり、行動する気力がまるで持てない。

自分で死ぬという事は相当なエネルギーが必要だという事を痛感した。

おわりに

大まかな内容になりますが、私が経験したうつ症状が重かった時の心境を綴ってみました。

大体、半年くらいはこんな状態が続いていました。

私にとって一番致命的だったのは、唯一の心の救いだった音楽が楽しめなくなってしまった事。

好きだったものが好きでなくなる経験はこれまでも度々ありました。

それまでは暫くすればまた聴けるようになると思っていたのですが、その時はもう2度と聴こえる事はないと感じていました。

正直、この頃は記憶が断片的で覚えていないところも多いのです。

死ぬ事も考えられず、「無」になっていた時期もありました。。

結局何も出来ないまま、ただ時間が過ぎていくのを待っていたのだけれど、病状が回復していきました。

その時はあーまた死ねなかったってなったんですけど、その後の話はまた別の機会に。

種類3 性病検査




ABOUTこの記事をかいた人

30代内向型HSP。 耳管開放症、月経困難症、うつ病、などの病気の体験談をブログに綴っています。YouTubeも始めました。私の経験を通して、今、生きづらさを感じている方に少しでも役立つ情報をお伝えしていければと思っています。